※ Fermemento・・・Ferment(発酵する)と Memento(記憶を呼び起こすもの)を合わせた造語。
1990年生まれ。
感情を言葉で表現するのが苦手で、広告チラシの裏にひたすら絵を描く子どもだった。7歳のときに大好きなおばあちゃんが亡くなる。初めて触れる人の死。その時期の絵には必ず自作キャラクターの死とお墓が描かれていた。無意識で描いた絵にその時々のNITOの思想が自然に反映される創作スタイルはおとなになった今でも続いている。
借金、両親の不仲、絶えない喧嘩。家から放り出されて外で寝る日々。幼いNITOに安らげる場所はなく、自傷行為とアルコールに逃げるしかなかった。気づけば中学生でアルコール依存症になっており、10代のうちに3度自殺を図る。しかし、死にたくても部屋がウイスキーの瓶と煙草の吸い殻で溢れても、絵は描き続けた。「そんな金にならんことやめろ」と言われ続けてもやめなかった。「絵を描くことは空気を吸ったりご飯を食べたりするのと同じ」と話す彼女にとって、絵は手段ではなく目的そのものであり、生理的欲求であり、アイデンティティーだ。
NITOの作品は不思議なバランスで成り立っている。
生命力あふれるエネルギッシュさがありながら、同時にどこか死の香りがする儚さ危うさをも纏っている。彼女の腕にできた無数の傷と紙に描かれる力強い線は本質的には同じであり、死への憧憬と生への渇望のはざまで葛藤するNITOの魂の表象であるのかもしれない。
NITOの世界観を理解する手がかりのひとつが、絵の描き方にある。対象(実物または写真)を見て描くことは絶対になく、記憶によってのみ描くという創作スタイルに、目で見えるそのままの現実よりも、自身の記憶の中で熟成発酵され変化したものにこそ価値があるというNITOの世界の見方が表れているからだ。この徹底した客観性のなさが危うさであり魅力でもある。見て描くことをしないかわりに「観察」を人一倍している。NITOにとって見ることは熟成庫に素材を貯蔵することである。
例えば、「馬」を観察したらそのシルエットから細部に至るまでの情報は頭の中でバラバラに解体してみるなどして記憶の熟成庫に一旦仕舞われる。次に馬を熟成庫から「取り出す」ときには、馬はもとの形から微妙に変わっていたり発酵が進みすぎて腐ったり、別のものと合体していたりすることもあるが、それをあえて修正せずそのまま描く。そうして組み立てられたキャンバス上の世界はNITOにとっての一つの現実であり、自分で創り出すものに自分が一番期待している所以だ。うむラボでは、そんなNITOを“Fermemento(記憶発酵)クリエイター”と表現している。
※ Fermemento…Ferment(発酵する)と Memento(記憶を呼び起こすもの)を合わせた造語。
いまオンラインショップを見る!